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午後7時にはもう真っ暗である。 合わせて、朝、夕の気温もかなり過ごしやすいものに。 ♪秋の夕日に~ 歌われるように、秋の夕暮れには何とも言えない風情がある。 ただ、夕暮れ時に油断は禁物。 古くは「逢魔時」なんて呼ばれ方をされていた夕暮れ時である。 読んで字のごとく、この世何らぬ異形に出遭うとされる時間帯。 「あら、きれいな夕日ね。」なんて隣にいるはずの愛しい彼に話しかけていたつもりが ふと横を見ると、隣の彼はいつの間にやら真っ赤で巨大な鬼に姿を変えていた、とか 「ほらほら、見てごらん。赤とんぼがあんなに飛んでるよ。」と指差した赤とんぼ。 よく見ると、昆虫のトンボじゃなくて 羽根のついたグランド整備用(シャア専用)のトンボだった、とか 「あれ?!今年は紅葉が色づく前に枯れちゃったのか?茶色くなってる。」と思って、 よく見てみると、葉っぱ全部「モミジ饅頭」になっていてビックリ。 しかも、もっとよく見てみると、「こしあん」「チョコ」「クリーム」「抹茶」「チーズ」・・・なんて 親切にも小さい文字で書いてあり、妙に今風モミジ饅頭にカスタマイズされていたり・・・。 そんな、不思議なことに出遭う時間帯なのである。 皆さんも経験があるでしょ? 特に最後のパターンの不思議体験は 広島では県民のほぼ8割が体験したことあるとか、ないとか。 ま、それほどメジャーな体験なら最早不思議でもなんでもない、とも言えるわけだが。 夕暮れ時は別名「黄昏時」。 もともとは「誰ぞ彼(たそかれ)」。 日が落ち始めて、人物の判別がつきにくくなり、 確認の為に「彼は誰ですか?」と呼びかける事が必要になる時間帯。 それが「黄昏時」。 昔の社会は極めて小さなコミュニティで成立している。 ほぼ全員と顔見知りの関係の中では「誰ぞ彼」に返事を返すことは 「仲間であることのサイン」を意味している。 裏返して言えば「誰ぞ彼」に対する返事がなければそれはつまり「異形」。 この世ならぬもの、であるということ。 日が暮れて人やモノの姿の輪郭がぼんやりとぼやける頃、 同時にこの世とあの世の境界も薄れてしまうと考えられていた。 故に人は夕暮れ時を「逢魔時」と名付け、 人間同士で「誰ぞ彼」と身元を確認し合ったのである。 ちなみに明け方の薄暗闇は「彼は誰(かわたれ)」である。 「おうまがとき」「たそかれどき」「かわたれどき」 学校で習っている時には何とも思わず聞き流していた言葉たちが、 最近、妙に私の心を捉える事が増えてきたように思う。 年のせい、と言ってしまえばそれまでだが、 ようやく、私も言葉に追いついた、感じだ。 今のご時世、少女をカバンに入れて連れ去ってしまう輩もある。 「逢魔時」の「異形」より質が悪い。 「魔」に出遭ったことは未だ無いが、 「間」が抜けていることに関しては、絶対の自信を持っている私だ。 だから、偉そうなことを言うつもりは無いが、 「人間の特権は言葉が感情を追い越し得ること」だと私は思う。 小さな言葉一つ一つを積み重ねて考えることを放棄して 湧きあがった感情だけを依り代にして、行動するというのは 「人間未満」と言わざるを得ないのである。 そんなものに出会うぐらいならば 夕暮れ時に「魔に会う」ぐらいなんて事無いのである。 できることなら夕飯に「間に合う」ぐらいに帰りたいのである。 今日も下らないオチがついたのでこの辺で・・・・。 #
by yokokuraudon
| 2012-09-08 23:26
なんてこと、よく言う。 「人類が初めて空を飛ぶことに成功!!!」 これなど当に偉業。 実際に実験する人間には相当な勇気が必要だった事は想像に難くない。 でもね・・・。 誰も言わないから、せめて私だけでも認めてあげたい「勇気」がある。 おなかがすいた状態を「おなかがペコペコ」と表現した人間も 相当な勇気が必要だったに違いない、と。 なんてったって「ぺこぺこ」である。 「泣く子も黙る」、というより、「泣く子も黙り、暫し後に苦笑い」するほどの 「おマヌケ感」である。 今風に言うならば「ゆるい」とでも言えばいいのか。 「ペコ」 一回ならまだその「おマヌケ感」と「かわいさ」がまだ均衡を保っている感じだ。 「遂に発売!!『おマヌケ』と『かわいい』のハーフアンドハーフ!! 『マヌケ』が好きな人も『かわいい』が好きな人もどっちも楽しめます!!!」みたいな バファリンの半分が「優しさ」で出来ているように 「ペコ」一回の場合は半分が「おマヌケ」でできている。 ところがである。 言うに事欠いてこの「ぺこぺこ」の産みの親は 「ペコペコ」と 2回も重ねてきやがっったのである!!! こうなるともう大変である。 「おマヌケ感」の圧倒的なパワーの前に「かわいさ」などは吹き飛んでしまうのである。 「おマヌケ」VS「かわいさ」は「1回コールド!!108対0でおマヌケの勝ち!!」になるのだ。 しかも途中で数を数え間違えて本当は「180対1」で勝ってるのに。 どうやっても「おマヌケ」なのだ。 マヌケのくせに強いのだ。 「遂に発売!!!濃縮還元『おマヌケ』100% 今なら期間限定で増量中!!! どこまでも『おマヌケ』が好きなあなたへ!これ以上の『おマヌケ』には出会えません!!」 「ペコ」1回の時は「おマヌケ」は半分だったけれど、 「ペコペコ」となると「構成成分は「おマヌケ」のみ。 「おマヌケ」オンリー。 「ナンバーワンよりオンリーワン!!!」と力強く宣言し、更なる「おマヌケ感」を強調。 これが「バファリン」ならマヌケ成分が強すぎて「バカリン」になること請合い。 というわけで一歩間違えてしまえば 周りの人間すべてから「お前、頭大丈夫か?」と 言われてしまいかねないぐらい「ぺこぺこ」という表現は危険だ。 誰も空腹時に腹が「ぺこぺこ」と音を立てるでも無い。 何かが空っぽの状態を「ぺこぺこ」と示す前例があったわけでも無いだろう。 それなのに、よくもまあ、この「ぺこぺこ」の名付け親はそれに怯むこともなく この表現を生み出せたものだ。 そして更に驚くべきことに「ぺこぺこ」なんてその奇妙な表現を 世の人々が受け入れたのだ。 考えても見たまえ。 仮に私が今ここで、 喉がカラカラだからといって「喉がチョキチョキやから、水、ちょうだい!!」と言ったって 誰も、水をくれないでしょう? 鼻がムズムズするからと言って「鼻がセブセブするし、ティッシュ取って!!」と言っても 「はあっ?」って言われるのがオチでしょ? 目がかゆい状態で目を押さえながら「ガンキュー!!ガンキュー!!」って言っても 皆が後ずさりしながら私から離れていくだけでしょ? 辛うじて、何らかの目の異変だってことは分かってもらえるかもしれないが。 当たり前の話だが、こんな風にいくら私が言葉を発したとしても周囲の人が それを受け入れてくれなければ「言葉」としての成立はない。 要は、つまり。 「ペコペコ」なる表現は幾許かの賛同を得て その当時の人々に受け入れられたということなのである。 「俺、おなかが空いた時これから『ペコペコ』って言うことにしたわ!」 ビックリ宣言である。 でも、その発言を受けて 「えっ!?『ぺこぺこ』かあ・・・・。それ、ええなあ。」って 受け入れるんかい!!! 再びビックリである。 そんなことってあるんだなあ、と素直に感心してしまう。 もう一度言う。 「ぺこぺこ」だぞ。 こんなアバンギャルドな表現が受け入れられるなら もう、なんでも有りだろう。 多少、日本語が間違って使われようとも、心配ご無用。 少々、若者の言葉使いが乱れようとも、眉をひそめる事は無いのだ。 勇気を持って「言葉」に触れ、楽しむことの方が重要だ。 「ぺこぺこ」を生み出した名もなき先達の「勇気」に今更ながら頭が下がるのだ。 ぺこり、ぺこり、。 #
by yokokuraudon
| 2012-09-06 23:54
しまったーーーー!!! 私としたことがーーーーー!!! とんだ大失敗をやらかしてしまったーーーー!!!! ぐむむむむ・・・・。 ・・・・仕方が無い。 こうなった以上、私の命を持って償うしか方法はあるまい・・・。 そうだ!!! 以前に和尚さんが「これは舐めたら死んでしまう毒だから、絶対に舐めたらいかんぞ!」なんて いいながら、台所に大事そうに甕を仕舞っていたな・・・。 よし、じゃ、その毒でもって、私の人生の最期を迎えるとしよう。 ・・・と思って和尚さんの留守を狙って その甕に入った毒を全部舐めてしまったんですが 私は死ぬことが出来ず、こうしてブログを綴っているわけです。 後で帰ってきた和尚さんによると、甕の中身は毒ではなくて 和尚さんオリジナルの奇跡の配合で作られたという「カルピス」でした。 確かに旨かったです。 でも、やっぱり「カルピス」は自分の配合が一番だと思います。 ・・・・で、何の話だっけ? 違う!違う!! 和尚もカルピスもどうでもいい!! ましてや私のカルピスの配合など犬の糞以下の価値しかないわ!!! そうじゃなくて、昨日は以前に紹介した 「カブフェス IN 玉藻城 披雲閣」に参加してきたってことが言いたいんですよお! でも、私、カメラ持って行くの忘れっちまったんですよお! それで、冒頭の一連のくだらない件に繋がっていくってわけなんですよお! 敢えて言いますけど「くだらない」のに「件」ってなんか不思議なんですよお! この喋り方、鬱陶しいんで、止めていいですか? いや、情けない話ですが、本当に素敵なイベントだっただけに 写真でお伝えできないのが残念ですが、 おそらく詳細はまた、「株式劇団 マエカブ」さんのHPで近々アップされるでしょうから そちらにお任せするとしましょう。 我々もほんの少しですが、イベントに参加させていただいて 「超軟水うどん」という、由緒ある披雲閣の中で 必要以上に「胡散臭い」テイストをぷんぷんに撒き散らしてまいりました。 思っていた以上にお客様が来て下さり、 14時という昼食の時間には遅すぎる営業開始だったにも関わらず 2時間ほどで用意していた材料はすべて売切れてしまいました。 会場で食べてくださった方、本当にありがとうございました。 もし、気に入っていただけましたら、店舗の方へもお越しください。 お待ちしております。 予想外にばたばたとうどんを作っていたせい(?)で イベントはそれぞれの出し物をつまみ食い程度にしか味わえなかったのですが、 旨いコーヒーは飲めたし、 かわいいTシャツ(なんと500円!!)も手に入れられたし、 カポエラ選手とお話なんかもできちゃって そして、アフリカンビートが聞こえてくるかと思ったら 今度はジャパニーズビートの熱い三味線が聞こえてくる。 もちろん、芝居もバリバリやってました。 しかもすぐに手の届く距離で。 それを各々が好きな場所に座って好きなスタイルで見られるという幸せ・・・。 最高だーーーー!!! もう1度言おう。 さ・い・こ・う・だーーーーーーーー!!!!! そんな素敵なマエカブ公演。 実は今月まだ、見られるチャンスがあります!! 9月23日(日) 昼の部 14:30開演 夜の部 18:00開演 前売りチケットは当店でも発売中。 「演劇なんて見たこと無いわっ」な人も 「演劇なんて興味ないわっ」ってな人も 「演劇なんてらららーららららーら」な感じの人も 皆まとめて観においで。 何か新しい扉が開くかもしれませんよ!! #
by yokokuraudon
| 2012-09-03 19:19
| イベント案内
・・・どうです? 一瞬、小田和正かと思っちゃったでしょ? 違いますよ。 いよいよ夏も終わりだって事ですよ。 それにしても本当に怒涛のように夏が通り過ぎた感がありますな。 「怒涛」 いいね・・・。 「どとう」 耳で聞くと、文字通りに「どっと突き進んでいく感じ」がするよね。 漢字だと「怒涛」の「涛」に「寿」があるあたり、 これが所謂「おめでた感」を感じさせるよね。 「怒り」と「おめでた」の同居。 なんともいえない「お祭り騒ぎ」な雰囲気満載。 言うなれば、ふんどし姿の屈強な男たちが集団で現れて 「おらおらおおらーーー!!!!おめでとうーーーー!!!!!!」 「どけどけどけーーー!!!良かったなーーーー!!!!!!」 「てやんでいー!!べらぼうめーー!!!!!ばんざーー!!ばんざーーい!!!」 などと絶叫しながら、目の前を走り去っていく。 時には走りぬけながら途中で胴上げの一つでも織り交ぜたりもするだろう。 怒号を挙げながらも、良く聞くと、その中に「祝辞」が織り込まれている。 そんなアンビバレントな感じ。 どう? 分かりますか?この感じ? くしゃみが出たと同時に予期せずおならが出てしまった時の あの何とも言えない「どっちつかずな感じ」 「えっ?!今の何?」 「上!?下!?どっち!?」と 自分の体に裏切られたような、 自分でも一瞬、何が起こったか把握しきれない感じ。 そして、次の瞬間に何が起こったのか理解して 「エッ!?ということは、もし、今の現象が宇宙空間で発生した場合 私は前に進むの?それとも後ろに下がるの?」と 「世界中の宇宙飛行士に死んでお詫びしなさい。」とNASAからクレームが来そうなほど 下らない疑問が頭の中に浮かんでしまった時のバツの悪さ。 そんな感じ、どうですか? 「どっちつかず」 悪くないでしょう? 母 「今日の夕飯は外で食べましょう!!」 父・子「わーーい!!!」 父 「お父さんは和食がいいなあ。」 子 「えー、僕はハンバーグがいいよーー。」 父 「何言ってんだ!!この前も洋食を食べに行ったじゃないか!今日は和食だ!」 子 「いやだ!!いやだ!!ハンバーグが良い!!!!」 母 「まあまあ、しょうがないねー、じゃあ、間をとって今日は中華に決まり!」 「和洋折衷」の新しい解釈を繰り出すこの母親。 「どっちつかず」に無理やり決着をつけるこの感じ。 どうですか? ちょっと不粋でしょ。 「どっちつかず」はどっちにもつかないけど、どっちもある、から素敵なのにねえ。 「和食」と「ハンバーグ」で揉めたら 「ハンバーグ茶漬け」をナイフとフォークで食べたら良いじゃない。 上は蝶ネクタイして下は袴はいて。 ねえ? どこかの国でも一生懸命、小さな島を取り合いしてるけど 「どっちつかず」に決着付けるのは案外、不粋だと思うけどねえ。 行く夏に思いを馳せながら書きすすめたのはいいのですが、 過ぎゆく夏の行く先が分からないのと同様に 例によってこの文章も行き先不明のまま、突き進み 「結論つかず」で逃げさせていただく寸法に相成りました。 この辺でお開きです。 #
by yokokuraudon
| 2012-08-31 23:54
携帯電話。 「ガラケー」なんて言うらしい。 携帯電話を「ケータイ」と略すのも如何なものかと思うが、 それでも、まだ、もとの「携帯電話」の姿がおぼろげながら見えてはいる。 おぼろげなのは私の近視のせいだろう。 しかし、「ガラケー」とまで行くと、何が何やらである。 もとの「携帯電話」の原型をその中に見つけ出すにはかなりの努力が必要だ。 超高倍率顕微鏡、暗視ゴーグルやエックス線撮影・・・。 最新の技術をフル動員して「ガラケー」をよくよく調べてみると・・・・。 あったーー!! 「ガラケー」の内部にわずか1センチ四方の小さな空洞があり、 その中から「携帯電話」が発見されました!!! ・・・・てな具合。 例のスペインのキリストの壁画の修復前、修復後、ぐらいの別物感がある。 「えっ!?キリストだったはずなのに、猿っ!?」ぐらいの変貌。 そもそも「ガラケー」の「ガラ」は「ガラパゴス」だって言うじゃないですか! 何それ? 私、パスポート持ってないのに、携帯電話だけ「海外」になってるじゃない!! 日本国内でしか使用できないのに「ガラパゴス携帯」だなんておかしいじゃない!!! それなら本当は「ニッポンケータイ」略して「ニッケー」(新聞か!!)とか 「ジャパンケータイ」略して「ジャケー」(菅原文太の口調で!!!)の方がいいんじゃない?! それにしても油断も隙もありゃしない時代になったもんだ。 人の使っている電話をいつの間にやら勝手に「ガラパゴス」仕様に仕立て、 気がつけば我々が「ズボン」と呼んでいたいたものは「パンツ」になった。 ならば、三十代半ばの私が生まれた時から「パンツ」と呼んでいる代物は何と呼べばいいのだ? それとも後、もう少し経てば今、我々が「靴」と呼んでるものが「靴下」になるのか? そんで、今の「靴下」が「靴下下」になるのか? そもそもが「靴」の上側に身につけるのに「靴下」ってどういうことなんですか? 教えて! 神様!! 時代は流れる。 全ては日々、移り変わる。 さっきまでの物と今、目にしている物が全く別物であっても不思議ではない。 例え、キリストがマヌケな猿の顔に変わったとしても。 今日、息子が初めて自転車に乗った。 時間は流れている。 #
by yokokuraudon
| 2012-08-29 23:10
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